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ケータイメールの思い出

Mon Dec 13 2021

ガラケーがまだガラケーと呼ばれてなかった頃の思い出話。と書いて思ったけど、もはやガラケーはマジで絶滅しかけてるからガラケーって言葉もそろそろ消えかけてんのかな……。

初めてケータイに触れたのは小学生の時で、親が車の運転してる時におもちゃにしていた。親の友達とめちゃくちゃメールしてたけど、今考えると親の管理ゆるすぎんか?そして小学生のメールの相手してくれる大人、優しすぎる……。他愛のない話どころかしりとりしてた時もあった気がする。この時のメル友(死語)は 2 人いて、そのうちの片方がブレスオブファイア 3 をくれたんだった。
当時はケータイ持っててもメールアドレスはないことも多く、うちの親もそうだったのでメールは E メールじゃなくてスカイメールっていうツーカーと J-PHONE、ボーダフォン間で使える SMS だった。当時 SMS って言う呼び方は知らなかったけど。

中学のいつからか自分用のケータイを持つようになって、高校生の頃にはキャリアのメールアドレスもあって E メールもできたんだけど、スカイメールも併用してた。高校のころ好きだった人がスカイメールでやりとりできたから、その子とはスカイメールを使うようにして他の人との E メールと区別できるようにしてた気がする。たしか E メールでも人によって着信音個別に指定できたんだけど、それを誰かに聞かれてしまった時に個別設定してるのがバレちゃうから E メール/スカイメールの時点で分けることで言い訳が立つようにしてたんだよな。懐かしい……。
ガラケーのメール保存件数ってそんなに多くなかったから、好きな人からのメールを筆頭に色んな人との大事なメールは消えないように保護設定してたな〜。コナンの佐藤・高木刑事カップルのエピソードでも「メールの保護設定を解除する」ってシーンがあったと思うけど、いまやサーバー上に大量のメール保存されるのが当たり前になっちゃったから意味分かんないだろうな。
まあ律儀に保護設定してたぼくの初代ケータイは久しぶりに電源入れたらメールどころか中身全部ぶっとんで 0 月 0 日(日)00:00 になっちゃってたけど…。二代目以降ももう何年も電源入れてないけど果たして生きてるだろうか。というか充電する手段残ってるのか?

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