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読書やお勉強の記録と保存

Fri Dec 03 2021

いつからそういうポリシーになったんだか正確に覚えてないけど、学校の教科書にはがんがん線を引いたり書き込んだりするし、教科書に限らず読書をする時はがんがん線を引いている。小説は線引くことほとんどないけど。
多くの本がデジタルでも買える今の時代、わざわざ紙媒体で本を買ったならきれいに保つとか考えずばんばん書き込んだりするべきだと思う。正確には大半の場合デジタルはレンタルしてるようなものだし、デジタルで読む手段がない本は今でも大量にあるが…。

多分中学ぐらいからかな?「本当に重要なところに引く」みたいに気張ることもなく書くようにしている。「線引きすぎじゃんw」みたいに笑われるとか気にしてはいけない。
そもそも線を引くのは要点をまとめるとか人に見せるためではなく、読んだときの自分の思考の形跡を刻んでおくためなのだ。線でも文字の書き込みでも落書きでもなんでもいいけど、なんかしら痕跡があればいつか読み返すときにそれが糸口になって思い出しやすくなる。

そういう考えでいるから、高校生以降「この分野を学ぶのはこれが最後かな」と思った教科書類はなるべくとっておくようにしている。資料集の類はシンプルに資料集としての価値があるのでもちろんとってある。別に学び直したくなったり必要になったら新しく本を買えばいいじゃないか、という人も多いと思う。実際、同じような内容を網羅するにしても大人が読むなら大人向けに編集されたもののほうが分かりやすかったり無駄がなかったりすると思う。けど、そういうことじゃないんだよな。かつて自分が読んだことのあるものの方がスムーズに頭に入ってくる、というか一度頭を通過したことのあるものなので復活させることができる。

これが手書きのノートとなるとなおさらで、例え教師が黒板に書いたものをそっくりそのまま板書しただけであっても、同じ内容が印刷されただけのものを見るのと自分が書いたノートを見るのとでは全然違うと思う。(なんか書いててアナログ最高、デジタル授業反対!みたいな主張になってきたけど別にそういうことが言いたいわけではない。)だから大学以降のノートはなるべく捨てずに保管してる。大学からはスライドとかプリント使った授業が増えるからノートの量そこまで多くはないしね。

ノートに加えてプリントもなるべく全部とってあったから、年に数回しか手に取らないのにそいつらが本棚をかなり圧迫していた。
流石に限界だなと思って去年の夏に友人からスキャナーを借りて全部電子化しようと思ったんだけど、裁断がめんどくさいのとやっぱ手書きノートを捨てる踏ん切りがつかなかったのでプリントだけ全部スキャンして捨てた。結局あと数年したらノートも電子化して捨ててしまうかもしれない。
いつか自分が読み返すために電子化作業を頑張ったわけだけど、今朝、半年に一回ぐらいしか動かない学科同期のグループチャットに「演習でこういうのあった気がするんだけど誰か覚えてない?」という投稿があっていきなり日の目を浴びた。やっといてよかった。ちなみにその問題見ても今のぼくには解き方はさっぱり分からんかった。当時も分かっていたのか怪しい。

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